大震災で荒ぶる父が書写で祝福を受け「花さか爺さん」に

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宮城教区 仙南教会 S婦人 50代

 

 私が書写に出会ったのは、4年前、3.11東日本大震災の直後、被災した義父の安否を尋ねて三陸沿岸から戻ってきたばかりのときでした。故郷の人も町も無惨に砕かれた様を目の当たりにして、粉々になりそうな心を抱え、呆然としていたときでしたが、書写をすると、言葉がすーっと心の深いところまで染み渡るのを感じました。

 

 義父は海軍特攻隊の生き残り。松の木の根元に穴を掘って生き延びましたが、家は全壊。故郷を離れたくないと言って、仮設で頑張ることを選んだ父でしたが、当時89歳で独り暮し。私たち夫婦は月に一度仮設に泊まりに行って、一緒に過ごすようにしました。

 

 2012年暮れ、そんな父に、認知症とアルコール中毒の症状が現れました。とてもひとりにはできないと、すぐに我が家に連れてきて同居をはじめましたが、その同居生活は本当に凄まじいものとなりました。

 

 激しい怒りを撒き散らす以外に何もできなくなってしまった父は、連日あらゆる暴言と暴力を浴びせるようになりました。私は恐ろしくて食事を共にできなくなり、同じ空気を吸うのが辛くなると、家の外に逃ました。自分の心に嫌悪感がわくことこそが”地獄”なのだと思いました。主人も父に対する怒りを押さえられなくなっていき、私たちは何かの事件を起こしてしまうかもしれない、とまで思いました。

 

 父が入院したときには看護師さんたちに嫌な思いをさせてしまい、師長さんは「このままでは家庭が壊れてしまうから」と、父の施設入所を勧めました。そのとき急に、私は、荒れ狂う義父に書写を勧めてみよう、と思い立ちました。不思議なことに、父は書写にはとても関心を示し、集中して筆を持ちました。私も本当に必死で書写をし、心の復興と家庭の平和を心底願いました。

 

 この書写には瞑想するひとときがありますが、瞑想しながら父の人生を辿ってみると、ぼろぼろ泣けてくるのでした。本当に大切にされていると思ったことがなく、深く傷ついているのは義父自身だと感じられました。そして、父が人を傷つけること以上に、その罪を責める私の思いが、家庭を内側から壊していくのだ、とわかっていきました。だんだん、父の罪と私の罪は重なっていきました。

 

 私が泣いて謝ると、父は「頭を丸めたい」と言いました。謝れるというのは本当にありがたいことですね。このときから、私は父に対して、心からの笑顔で接することができるようになりました。

 

 父も生まれ変わったように、穏やかで意欲的な人になっていきました。家庭書写会では、ご近所の小学生の兄弟と書写をしたり、習っている空手を見せてもらうことを心から喜びました。一緒に犬と散歩し、公園で泥遊びもしました。そのご家族も参加するからと、大きな会場での書写セミナーにも参加し、先生のご講演も聞けるようになっていきました。

 

 情感が戻ってきた父は、亡くなった義母とずっと一緒にいたいということで、永遠の結婚である祝福まで受けていきました。さらには、父と私の変わり様を見て、主人と主人の姉まで祝福を受けてくれました。驚いたのは、父が孫である娘の祝福結婚を応援してくれたことです。「まあいいんでないか、許してやれや」と父が言うと、「俺は別に反対してないよ」と笑う主人。娘は「奇跡が起きた!」と喜びました。

 

 義父は今92歳。あいかわらず認知症ですが、書写を続けるうち、心がとても生き生きとしてきました。私が自叙伝を読んであげると本当に嬉しそうにします。もうアルコールは要らなくなり、その代わりに父が毎日欲しがるのは、私たち家族の笑顔と、ユーモアと、あったか~い湯タンポです。

 

 東北では、津波が来たところに桜が植えられていますが、まるで大震災そのもののようだった父が、今では、親子三代と親戚に祝福の花を咲かせる「花咲か爺さん」になっています。

 

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