頑な娘婿が奇跡的好転、「夢のようです」

« »


群馬教区神川教会 A婦人

 

私の娘は、夫(娘婿)と16才の男の子と14才の女の子の4人家族です。以前、娘婿の両親と同居していましたが、2年程前に親元から出たのです。

 

職人の家庭で、良く言えば気丈、悪く言うと筋金入りの頑固者、他人と上手に関わることが苦手で、「信じられるものはお金! 頼れるものはお金!」という感じで、お金に執着する娘婿でした。妻、子供に食べさせるための生活費も出し渋り、「今月は稼ぎが少ないから」と減らされる一方で、少ない生活費の中で工夫して食事を並べている目の前で不機嫌な態度、そんな父親が一緒にいたのでは子供たちも楽しく食事をすることが出来ず、「美味しいね」「もうないの」「おかわり」なんて言葉は全くなかったと娘は言っていました。

 

娘婿は釣りが趣味で、道具は一級品、時には釣り仲間と東北や北海道まで泊まり込みで出掛ける人で、自分のためにはいくらでもお金の使う人でした。

 

家族団欒とか、子供の喜ぶようなことなど何一つ出来ない人でした。そういう父親に子供たちは、距離を持つようになり、親子の会話は全くなくなった状態、出る言葉といえば、一方的な愚痴と罵声、叱りの言葉ばかりで、普通の口調で話をすることの出来ない人でした。

 

そこで私は毎月の書写の願い事に、「認め合い、理解しあえる関係の成立を」と、娘夫婦の家族の為に書き続けました。

 

びっくりです!今年5月初め、最初の喜びが飛び込んできたのです。信じられませんでした。娘婿が「連休、どこかにドライブでもしようか」と家族を誘い、新潟の水族館へ行ったのです。日本で何本かの指に入るくらいの大きな水族館で、その後、海まで足を伸ばしたそうです。帰りには物産館に寄ってお土産を買い、会計をしようとしたところ、旦那様が自分のポケットからお財布を出し、「これで払えば」と娘に渡してくれたそうです。

 

娘夫婦は結婚生活18年の間、ただの一度も家族で出掛けるということなどなかった家庭でした。それが帰り道、私の家へ寄ってお土産を置いて帰ったのですが、事の流れを話してくれた娘の顔は喜び、嬉しさ一杯の顔でした。とにかく第一声が「今日すごく不思議な事があったのよ!」でしたから。

 

また、娘婿は妻を外へ出したくない性分で、娘は友達とお茶飲みや食事に出掛けるという事など出来ない状態でした。先月、昔勤めていた仕事仲間から食事の誘いの電話を受けている最中、旦那様がポロッと一言、「行ってくれば」。ありえない態度に、正直戸惑ったと言っていました。この日は気持ちよく家を出る事が出来て、楽しい時間を過ごし、最終電車で帰ったそうですが、電車の中で楽しかった友達とのメールに夢中になり、気付いたら、降りなくちゃならない駅より二つも先の駅に来ていて、あわてて飛び降りたそうです。田舎で回りは真っ暗、どうしようかと思っていた所、旦那様からのメール!

 

今までメールのやり取りなどした事のない仲です。叱られる事を覚悟でメールを開いたら、なんと想定外、「遅いですね。お迎えに行きましょうか」。叱られる事も無く、気まずい雰囲気など全く無く、素直に喜びを伝える事が出来たそうです。

 

それ以来、娘は友達から誘いを受けると、出られるようになれたのです。夜、娘が出掛ける時など、旦那様が二人の子供に向かって、「おーい、今日お母さんが出掛けるから寿司食いに行くぞー!」「焼き肉食いにいくぞー!」と言って三人で出掛けるのだそうです。楽しそうに出掛ける姿がすごく嬉しいと言っていました。

 

そしてもう一つ喜びの話をさせて下さい。親子の交流や会話が殆ど無い家庭でしたが、ある時、お昼寝していたお父さんを二人の子供がゆり起し、「買い物に連れて行って」とおねだりをしました。今迄のお父さんなら不機嫌この上なく、そばにも近寄れない雰囲気になる人が、ニコニコ顔で、「また俺にたかるのかよ」と言いながら、楽しそうに三人で買い物に出掛けたというのです。

 

またある時、孫の男の子が白いズボンが欲しいと口にすると、「ズボンのおねだりだって!」と嬉しそうに二人で出掛け、帰って来るなり嬉しそうに「一万円もかかったよ」と報告してくれ、ズボン一本の予定が、それに合わせて上着と靴まで揃えてくれたそうです。

 

とにかく、娘婿の変わりよう、ぎこちなくといった事は全く無くなり、自然体であって、以前の娘は旦那様に対して恐怖心が強く、思うように言葉が出ない状態でしたが、今は何の警戒心もなく、自然に振る舞えるようになり、表情も明るくなりました。孫たちも会話の中に、「お父さんが、お父さんが」という言葉が出るようになり、私はこの上ない喜びであり感謝です。

 

娘が先日、「お母さん、今の穏やかな生活、夢じゃないかと時々思うの。夢ならずっとさめないでほしいと思うよ」と言っていました。

 

皆様の家庭では当たり前の生活かもしれませんが、娘の家庭では、この流れは奇跡であり、この生活が感謝であり、感激であり、大きな喜びなのです。

« »