「思想新聞」2009年11月15日号


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この自叙伝は、「父に背負われる平和」から出発し

「父を背負う平和」、すなわち平和を愛し、作り出す人になることを

われわれに促している

 

 日本占領下の朝鮮半島に生まれてから今日までの、波乱万丈の90年の半生を描く中で、神と人間さらに自然、そのすべてを包み込む壮大なスケールで「生きる」とは何かが語られている。自叙伝でありながら、宗教書、哲学書、人生論としての意義を十分すぎるほど持ち、平易ではあっても選び抜かれた言葉の力を強く感じる書である。それは、そのすべてが体験に裏付けられているからに他ならない。

 

 「平和な世界をつくることが幼いころからの夢」であったという。普通、人生の夢といえば政治家、学者、医者などになることがあげられる。それが「幼いころの夢」が平和世界の実現であるということに驚きを禁じえないが、すぐに解消される。とにかく自然とのふれあい体験に関する記述が多い。山や海、鳥や動植物、野菜や米、その料理の仕方から生態にいたるまで、あらゆる年代においての経験がエピソードとして登場するのである。ここに「幼いころの夢」の秘密がある。「私が森を愛したのも、その中に世界のすべての平和に通じるものが宿っていたから」だという。さらに、幼い時に山で飛び回りながら寝てしまい、心配して探しきた父に背負われて帰るとき、「何の心配もなく心がすっと安心できる気分、これこそがまさしく平和」であったと述べている。平和を愛し追求する文鮮明師の原点である。

 

 やがて悲惨な現実に思いが注がれ苦悩する。牧師であった大叔父の影響でキリスト教に入信して神に祈り求めていくのである。15歳のときにイエス様と出会い「苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばせて上げなさい」と語りかけられたときの混乱(感動や恐れ、使命から逃れたい思いなど)が生き生きと記されている。さらに9年後、「父の真の愛に目覚め」、「神様と私たちは父と子の関係である」ことを悟る。「目から熱い涙が止めども無く流れ落ち」「子どものころ、父に背負われて家に帰った日のように、神様の膝に顔を伏せて涙を流した」という。文鮮明師の平和思想と平和運動の原点は「父の背中」と神との出会いにあったのだ。

 

 すべての人間が神と「父子の関係」を回復することなくして平和と幸福はありえない。共産主義と戦い、ゴルバチョフと会って宗教を受け入れることを訴え、金日成主席と会見して朝鮮半島の平和について語り、さらに全世界に宣教師をおくり、それを支える経済基盤を作ってきた理由はそこにある。

 

 「私が何を語るのか、何をする人間なのかを調べようともせずに、ただ反対する」人々が多いのは残念である。一つの事実も、見る視点によって真実が捉えられなくなる。「独裁者」「搾取者」というような批判があるのは残念なことである。記されている事実を追体験しようとする姿勢があれば、真実も見えてくるだろう。

 

 文鮮明師の提言は親である神の願い、すなわち人類一家族世界実現である。そのためには国家間、宗教間、人種間にあるすべての分裂と対立の要因は取り除かれなければならない。まず神と人間が父子の心情関係を回復し、神を中心とする家庭が拡大することであり、さらに世界を一つに結ぶ国際平和高速道路網の建設による一つの世界実現を提唱している。

 

 この自叙伝は、「父に背負われる平和」から出発し「父を背負う平和」、すなわち平和を愛し、作り出す人になることをわれわれに促している。