「友情」紙 2009年10月号


 

世界的な宗教者が波乱に満ちた生い立ち語る

 

 宗教指導者の自伝といえば、特殊な伝承や奇跡物語など、教祖の神秘性と超能力を描くものが少なくない。偉人の伝記は、そうした弟子たちの師に対する敬意と神格化という装飾によって飾られるのが普通である。

 

 四大聖人といわれるブッダの生誕における奇跡、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして言ったという「天上天下唯我独尊」にしても、弟子たちによって後世に作られた伝承だろう。

 そうした神格化が行われるのは、過去の時代だけではない。現代の偉人にしても、その幼少時代は、奇跡などの彩りによって神格化を免れない。

 それに対して、自伝の場合は本人が語ったり書き残したりする性質上、そうした弊害はより少ないと考えられる。しかも、貴重な歴史的な証言となる可能性もある。

 

 たとえば、世界を動かすキリスト教にしても、イエス本人が語ったものが残されていたとしたら、今のような同じキリスト教での宗派対立は避けられただろうからだ。

 本書の著者の場合、悪評や批判、うわさなど、新聞の三面記事などでスキャンダルな人物として取り上げられることが多い。その意味で、興味本位で読まれる面があるかもしれない。

 しかし、そうした先入観をもって読み進めると、著者の率直に語る内容に思わず引き込まれるようになるに違いない。それほど本書に語られている内容は、ドラマチックであり、驚異的なものがある。

 

 1920年、著者は現在の北朝鮮領となっている平安北道の定州に生まれ、豊かな自然の中で多感な生活を送っている。性格は強情で、実の母親にたたかれても、絶対に自分の非を認めなかったというほど。

 しかし、その根底には正義を愛する心情がたぎっていた。著者がいかに正義を愛し、不義を憎み、貧しい人への同情と愛が豊かであったかは、数多くの幼少時のエピソードで示されている。

 

 たとえば、ケチな農夫のおじさんにかけあい許可をもらい、夜にほとんどのマクワウリを子供たちで食べてしまったというエピソードがある。

 文少年だけに許可したと思っていた農夫はかんかんになって怒り、「おまえがやったのか」と詰問したとき、著者は「誰にもわけてやらないのとわけてやるのはどちらががよいか」といって道理を説く。これには、農夫も納得して引き下がったという。

 また、大みそかの日に貧しい村人ために家に内緒で一斗の米を担いで行った話。正月を迎えるのに、餅も食べられない村人の喜ぶ姿が見たかったためだ。

 

 この背景には、文家が常に貧しい者を放っておかず、乞食が門前にくれば、すぐに御膳をもっていって食べさせたという伝統がある。そのような家の伝統が著者にも受け継がれ、世界の貧しく飢えた人々を食べさせることを志していく原動力になる。

 その多感な文少年が、宗教指導者になる決心をしたのが十五歳でイエスの霊と出会ったことがきっかけだった。そのとき、文少年は、全身がその責任の重さにふるえてしまったことを正直に述べている。

 以来、その使命の重さに日々、快活な性格がまったく変わってしまい、社会の矛盾に目を向けさせ、日本の植民地となって、その重いくびきに苦しんでいる民族をみて、韓民族の解放と独立を願って独立運動に挺身していく。

 歴史の証言として貴重な内容もある。

 たとえば、ソ連共産主義政権のときにゴルバチョフ大統領と会見した時のエピソードや北朝鮮の金日成主席に会ったときの会話など、当事者でなければ語り得ない内容が明らかにされている。

 

 著者は、何度もその宗教活動ゆえにゆえなく投獄され、拷問された経験を持っている。中でも、その体験がリアルに迫ってくるのは、共産主義下の北朝鮮で当局に捕らえられ、窒素工場の興南工場で強制労働させられた時の体験談。

 多くの者が劣悪な環境の中で倒れる中で、わずかな食料で飢えをしのぎ生き延びていったこと。狭い牢屋で自ら一番汚い臭い場所である便器のそばで寝起きしたことの話などは、体験した者でなければわからないものがある。

 

 生死の境にいてさえ、その場を神とともに生き、そこに神の悲しみと痛みを感じたことが伝わってくる。ここに究極的な神の心情の神学が展開されていると感じるのは評者だけではあるまい。

 社会的には悪評が多い著者であるが、そうした誤解を解く書であり、先入観を持たずにまず率直に読めば、この著者が何を目的とし、何をしようとしているのかが自ずとわかってくる。

 その意味で、まず手にとって読んで、その精神の神髄にふれてほしい気がする。

(H)