『平和を愛する世界人として』を読んで


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 文鮮明先生の自叙伝『平和を愛する世界人として』を読む機会を私に与えて下さった方々に、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。自叙伝を私に下さった幸運を喜び、序文を読んだ途端に私は虜になってしまいました。冬から春に移る自然界の美しい描写、優しい息づかい、温かな情景が見え、和やかな美しいメロディーが流れてくるようでした。まわり一面平和に囲まれている一幅の絵を見ている錯覚を感じた私でした。2、3行の文章から平和の尊さ、平和の安らぎを肌で感じ取れた私の心は、豊かさで満ちあふれました。

 

ある方から「感想文を募っているよ、書いてみたら」とお誘いを受けました。 

 「神様について書いてみたら」と言われているのと同じで、「とんでもない」と思いました。統一教会のレベルの高い深奥な内容を学び始めてから日の浅い私です。神様とは、真の愛とは、為に生きるとは、少しずつ勉強するにつれて、無知と恥ずかしさが増すばかりの私です。76年間、これ程崇高でレベルの高い教えも知らずに生きてきた人生を悔いながら、周りの皆さんを観察して得たものは、「愛に生きる、為に生きる」姿の美しさ、目の輝きだったのです。愛に生きること、与えて忘れられる幸せ、為に生きて神様に喜んでいただけること、これらの教えは私に課せられ、終生を貫いて進める指針であるとの思いに到達しました。勉強するのに遅いことはない。何度も読み返し、頭ではなく心で読んでみよう。そして誘いに乗ってみよう。立場も考えず、浅学もなんのその、幼稚でもいい、未熟でもいい、思った通り感じたまま素直に書いてみよう。大胆にも恥ずかしさもかなぐり捨ててペンを走らせている私です。

 

 序文から私の心と目を引きつけて離さなかった自叙伝でした。

苦難の中でも、生涯を通して愛を捧げ尽くされた真のお父様だから、スーッと発することが出来る言葉ではないでしょうか。「その愛が干からびた地を潤す平和の川となって、世界の果てまで流れることを祈る」と書いておられます。清らかで輝ける心から出た言葉に涙が流れてきます。

 

 遊び疲れて、森の中でお父様の背におんぶされながら、自然の摂理を悟り、世界平和を考え夢見るなど、到底思い付かないことを幼少時代に考えておられた文鮮明先生。

 普通の幼少時代では想像もつかない発想だと私には思えるのです。その時点で、すでに神様からの使者であったと思いました。

ヨチヨチ歩きの時から、隣人や困っている人達に食物を分け与え、喜びを分かち合う心の豊かさはに築かれました。施す愛、与えて得られる満足、それに加えて明晰な頭脳をお持ちの家系、韓国の素晴らしい民族性、神様が放っておくわけがありません。

 真のお母様、韓鶴子様も講演の中で宣布しておられます。

「イエスの使命を相続した新しい方が、この地上に誕生される」「まさしく現代に生きるメシアである」

お父様の路程を勉強するにつれて確信を強くする私です。

 

 お父様が書いておられます。

「真の愛の前にあっては、怨讐さえも跡形なく溶けてなくなるのです」「すべての難しい峠を共に克服してきた妻である韓鶴子に無限の愛を送ります」

 

 幾多の困難や大きな悲しみも乗り越えられ、克服なさった真のお母様の強さに万感の敬意を捧げます。

神の創造目的を明らかにし、人間始祖が犯した原罪を究明することによって、人類の未来を開拓された方、真のお父様、文鮮明先生。

 

 信じて従い、容易に入って来るサタンに左右されることなく、神様に侍り、真のご父母様に侍り、傲慢な自分を捨て去り、謙虚な自分を保てる私でありたいと素直に思い、真の愛の為に努力を積み重ねていきたいと願わずにはいられません。

 

 この時代に生を受けて、尊い学びを受けられる幸運な私です。無駄には出来ません。統一教会の学びを通して、どれだけ私の努力が実るかは私自身にかかっています。

 

 たまにはつまずき、堅い壁に突き当たる事もあるでしょう。そんな時は文鮮明先生・真のお父様の自叙伝を読みます。そして、道を探し、光を見出します。

 

 陰徳積善、愛に生きる、為に生きる、それらの真の意味を体恤出来る私でありたい、実践できる私でありたい、継続できる私でありたいと、強く願い祈祷する私です。

 

 文鮮明先生の自叙伝『平和を愛する世界人として』

この一冊が終生私のバイブルとして、いつまでも私の傍で輝いていることを強く願い、感謝を込めてペンを置きます。

駒澤キヌ