自叙伝の増補版が出版


日本にまつわる歴史的秘話を特別収録

『平和を愛する世界人として』

 

 2011年9月、文鮮明師の自叙伝『平和を愛する世界人として』の増補版が出版されました。

 

 自叙伝は韓国で編集・出版されたという事情もあって、日本の読者からは「文先生の日本での歩みをもっと紹介してほしい」といった強い要望が、自叙伝の日本語版が出版された当初からありました。

 

 そこでこのたび、文師の許可を得て、本文とは別に「増補」という形で、文師の日本留学時代の隠されたエピソードや日本統一教会の草創期の秘話、文師の日本に対するみ言など、日本にまつわる歴史的秘話を盛り込み、自叙伝文庫本が出版される運びとなりました。

 

 今回増補された部分には、原著の日本に関連する記述を裏付ける内容や、それを補足させるエピソード等が含まれています。その中から、いくつかを抜粋して紹介します。

 

日本関連の記述を裏付ける内容

 

○仕送りを他人のため消費
 「韓国から留学生は勉学に来ているので、家から仕送りがあればその晩は酒を飲みます。しかし文先生は酒も飲まず、学生たちがよく行った喫茶店にも行かれませんでした。・・・非常に情け深い人でした。貧乏な人を見ると、自分のお金を全部はたいてあげるのです。私の同級生にも背広を買ってあげていたことを記憶しています」(お父様と同じ早稲田大学附属早稲田高等工学校で学んでいた友人の厳徳紋氏の証言)

 

○反日地下活動
 『昭和特高弾圧史8』(太平出版社)には、次のような記録が残されています。  「昭和十七年九月上旬頃東京都淀橋区戸塚町一ノ五二三白鷺荘に於て大原麟瑞は友人たる専修大学生高山允徳、早大生江本某、早大生松本鎬禧の三名に対し支那?介石軍の下に朝鮮独立運動者が参加し日本と戦争し居る旨を強調同志として獲得せんとして朝鮮独立に関し宣伝扇動を為したり」
 ここに記されている「早大生江本某」とは、文先生のことです。

 

○日本の刑事からの拷問
 文先生は生涯で六回の収監体験をお持ちです。その一回目の収監がこの時です。一九四四年十月から翌年二月まで収監され、生死をさ迷うような拷問を受けました。このとき文先生の友人で三歳年下の郭(カク)魯(ノ)弼(ピル)氏も、文先生が逮捕された後、同じ京畿道警察部に連行され、文先生と同じような拷問を受けています。  (中略)  一方文先生はどうかといえば、激しい拷問を受けながら、ともに活動した人たちの名前は言わなかったそうです。命を懸けて「自分一人で闘った」と言い、殺すと脅迫され、全身に真っ黒い血のあざができても口を割らなかったのでした。もし文先生が名前を挙げていれば、先の友人、厳氏も同じように逮捕され拷問を受けていたと本人(厳氏)も証言しています。

 

<日本関連の記述の補足的内容>

○久保木初代会長の入教
 久保木会長が初めて訪ねた本部教会(当時、東京都杉並区馬橋)の礼拝参加者は、六人しかいませんでした。・・・そこで説教したのが崔(奉春)宣教師でした。崔宣教師は六人に対して、何万人にも向かって語るようにありったけの声を出して説教し、重要なところになると机をドンドンと叩きました。久保木会長は説教の内容はよく分からなかったのですが、心打たれるものがあったのです。全国にもまだ数十名しか会員がいない状況でしたが、「この青年たちを見捨ててはならない」と思ったといいます。

 

○崔宣教師の釈放のため尽力した笹川良一氏
 (一九六四年六月初め)崔宣教師の不法入国が発覚し、警察署に連行されます。このことを知って心を痛め、すぐに崔宣教師の釈放のために尽力した人物がいました。故笹川良一先生です。  笹川先生は「私は君たちが日本を救うことをよく知っている。そのため西川(崔宣教師の日本名)という青年は韓国人であるが日本人以上に貴重である。だから私は命に代えても牢屋からだすのだ」と言って、法務大臣のところに向かったのです。笹川先生は法務大臣に「私を牢に入れろ。西川という青年は日本にとって貴重だ。自分は先が短い。いつ死んでもよい。だがあの青年は日本と世界のためにやらなければならない」と言って、崔宣教師の釈放を訴えたのでした。その甲斐あって崔宣教師はすぐに釈放されました。

 

○一九六五年、日本の主要都市巡回
 文先生が「何か聞いてみたいことある?」と尋ねられたことがあります。ある人が手を挙げて「イエス様はどういう方でしたか?」と質問したのです。そのとき文先生は一瞬、天井を見られてからすぐに下を向かれました。どのような答えが発せられるのかと、会場はシーンとなりました。そのときです。ボタボタと水滴の落下する音がしたのです。文先生の涙が畳に落ちた音でした。  文先生がイエス様について語られたとき、泣きながら語られたのでした。文先生が滞在されていた期間、教会員のなかでイエス様と文先生が一体であるという霊的な現象を体験した人が多くいました。

 

○日本が行くべき道
 それではなぜ日本は、神によって「母の国」の使命を与えられたのでしょうか。そのことについて文先生は「明治以降の日本の歴史を見てみると、妻が犠牲になって夫と子供を生かしてきました。このような女性は世界にいません。中国の女性、ロシアの女性、台湾の女性など世界の女性を見てきた中で、日本の女性ほどかわいそうな女性はいませんでした。誰がこのかわいそうな女性たちを救うのでしょうか。神様がいらっしゃったなら、この日本の女性を救ってあげたいと思われるでしょう」と、神の心情を汲(く)み取られたことが日本を母の国に選ばれた動機であったと語られています。  このような神の摂理観から、日本は世界の母親として、たとえ飢えたとしても世界の国々を保護し、経済的援助をして育てていくのです。日本が世界のために投入し、投入したことすら忘れる母親のような立場に立つことができるならば、子供の立場にある世界の国々は日本を慕い、すべての栄光を日本が受けるようになるといわれるのです。