大学生・社会人の部 聖賞(1)


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自叙伝を通して知る父母の心情

大学生・社会人の部:聖賞

 R.K.

 

 自叙伝を手にした当初、さまざまなことに葛藤していて、本を開くまでにずいぶんと時間がかかった。しかし、一度自叙伝を開いて読み始めていくと、不思議とお父様がご自身の心情を自ら私に語りかけて下さっているような気がする。

 

 なかでも、私がとても心を揺さぶられ、それまでの私の疑問と、不満を一気に消し去った部分がある。

 私の母は宣教師で、私が小学校、中学校、高校の初め頃まではほとんど家にいることがなかった。健康体で宣教に出て行くのにも数々の疑問が生じるなか、私の母は大病を患い、命の境目をさまよったその翌年、宣教師として、当時は名前すら聞いたことのなかったエルサルバドルへと宣教に行った。当時の私は幼く、なぜ宣教に行くのか本当の意味も理解もできず、正直なところ、快く思ってはいなかった。当時、私の中にはたくさんの疑問があった。「なぜ、私の母がいかなくてはいけないのか」「お父様は何を考えてこのようなことをするのか」「なぜ、神様は私から親を奪っていくのか」…たくさんの「なぜ」が頭の中にあり、現実とさまざまな面で葛藤した。そして、両親に対しても決していい思いではいなかった。その疑問や葛藤を誰にもぶつけられないまま、神様の願いがわからず、お父様の心情も理解できずに、半ば恨(はん)のようなかたちで、私の心に残っていた。

 

 しかし、自叙伝で、お父様が共産国家に宣教師を送られたときの心情が綴られている場面がある。その部分を読んだとき、自然と溢れてくる涙を止めることができなかった。

 

 お父様が宣教師一人のためにどれだけの祈祷を捧げられ、どのような心情で宣教師を送っていかれたのか。その部分は何度読み返しても涙が止まらない部分である。母が留守の間、私自身も大変な苦労をした。でも、私以上に、私の母以上に、それを見ていた神様は、どれほどまでに悲痛な思いでいっぱいだったのだろう。代われることなら代わりたいと何度思われたのだろう。そして、私が投げつける言葉がどれだけ神様の心を傷つけていたことだろう。お父様が自叙伝の中で語られる心情を超える以上に誰よりも母を、そして私を心配し、常に見守っていてくださったのが、他でもない神様であったということを知った。今、この自叙伝を通じて、長らく胸につかえていた疑問、そして恨みが消えていくのを感じる。そして、神様の心情をなぐさめ、解放するべく、ご父母様と共に自らの命を顧みず一心不乱に歩む自分の両親を心から尊敬し、誇りに思う。

 

 自叙伝のお父様の歩みを通じて、常に全身全霊を込めて私たち一人一人を愛そうとされる神様の姿を見ることができる。自叙伝は父母である神様が子女である私たち人間を、どれほど尊く思い、救おうとされ、愛そうとされているのかという父母の心情を、お父様の歩みを通して私に教えてくれる。そして、日常のあらゆる場面において私に希望と神様の愛を注いでくれる存在となっている。