社会人の部 佳作(2)


⇒入賞者一覧

神様の愛と世界平和

(社会人の部:佳作)

 廣瀬 詠子

 

 神様がこの天地を創造なさるのに47億年かかったといいます。47億年という人間には想像できないような長い期間を、神様は自ら立てられた創造原理の前に絶対服従され、ありとあらゆる精誠を尽くし、心血と御自身の生命の核心と、愛と心情をそっくりそのまま注いで創造された、とみ言にあります。そして最後に迎えたアダムとエバが神様にとってどれだけ愛おしかっただろうと考えてみますが、子供を産んだことのない私には実感もわかず、想像すらできません。一問一答されながら育てた彼らを堕落によって一瞬にして失ってしまった神様の長い救援摂理は今日まで六千年間続いてきました。その期間の神様について文鮮明先生は「牢獄生活」と表現されます。真の愛の根源である神様は、まるで牢獄に入った囚人のように、その光を現すことができなかったのだと説明されるように、神様の愛は今日まで実体をもって現われることがなかったのだという悲劇を知ることができます。

 

 しかし昨年、文先生ご夫妻が「万王の王」の解放圏を勝利されることによって人類歴史上初めて、実体をもって神様が現れることができるようになりました。十字架を負って逝かれたイエス様以降初めて、神様の血筋をもって生まれたお父様の路程を通して、人類史上初めて神様の姿を実体をもって知ることができるようになったという驚くべき事実を知るものであります。今回たくさんの精誠と啓示の上で発表された『平和を愛する世界人として』という文先生の自叙伝とみ言を通して、また不足ながら文先生に侍って生きる個人の経験から、私は歴史上誰も知ることができなかった神様の愛と世界平和を探してみたいと思います。

 

 まず、神様とは一体どのような方なのでしょうか。自叙伝にあるお父様の生き方を通してその姿を探ることができます。まず私が通読して最も感じたのは、「体がない」ということでした。お父様には明らかに体があるけれど、目に見えない世界でお父様は体がないのではないかと思いました。なぜなら、幼少時代の話で「村の子供たちが瓜を食べたいと思う心はまさに私の心である」といって親戚の家の畑の瓜を全部無償で村の子供たちに食べさせたことから始まり、乞食がいれば家に呼び、学費がない友達にはお金を渡すその姿から、ご自分と他人との間に境界線がなく、相手をご自分か、それ以上に大切に思う、相手もご自分の一部であるかのように人も自然も全てご自分の体のように接される文先生の姿から、この宇宙の全てが文先生なのではないか、と考えました。「体がない」ために、相手の悲しみも喜びも苦しみも全て同じように感じることができるのだ、と思いました。上も下も右も左も前も後ろも、高くも広くも浅くもなりうる、その姿に「体がない」神様を見つけることができました。「神様は無所不在である」というみ言がここに通じると考えられます。神様のいらっしゃらないところはない、全てに存在される方が神様であるということを知ります。また『平和神経』の中に「均衡が理想である」というみ言がありますが、神様自体、また文先生がそのみ言の実体であることを知ります。水は高い所にあるとき、下にくぼみがあれば自動的に流れて埋めてくれるように、線をひくことなく、ただ相手のために自らを投入して、常に水平をつくりあげる文先生から神様の姿を発見します。

 

ページ: 1 2 3 4 5